『「本をつくる」という仕事(著者:稲泉連)』という本。とにかく、興味深く、そして面白かった。本は何本もの手から形作られているということ。映画のように、携わった皆さんをエンドロールで表記した方がいいのではないかとさえ思う。本1冊ができるまでの人の関わりように思わず涙ぐむこともあった。教えてくれて、ありがとう、そう言いたくなるような本。本が好きなら、是非。本という手で触る事の出来る形態が好きな方は、必見。
目次
「魔女の宅急便」の作家・角野栄子さんの話。
最初に本書の中にも登場する角野さんのお話をちょっとだけ紹介しておきたい。角野さんのスタンス、言い方にとても感銘を受けた。
「本を最後まで読むには我慢がいる。たとえどんなに面白い物語でも、2ページくらいまでは我慢して読まなくちゃ、面白さは伝わらないもの。だけど本はひとたび面白いと思えばたちどころに大好きになるし、何より次は自分で自分のための物語を選ぶことができるようになる。(…略)だからこそ、自分の好きな本を自分のものにできる喜びは、子どもにとって本当に大きなものなのでしょうね」
初めて一冊読み終えた達成感を覚えていますか?
一冊の本を読み終えた達成感の記憶。初めて一冊の本をちゃんと読み終えた記憶…。自分の中に確かに残っているのは、絵本の「ノンタンのたんじょうび」だった。これは私自身三人兄弟で、その中で手にした初めての自分だけの本と認識できた本。幼い頃に父親が誕生日にとプレゼントしてくれた絵本であったと記憶している。それは、まさしく『自分だけの絵本』だった。最初は読めなくて、でも何度もページは開いていて、そして日にちか年か、時間をかけてちゃんと読んだと記憶している。その時の高揚感は今も思い出せば、湧き上がってくる。
そして、次に1冊の本を読み終えた記憶は、中学生の頃になってしまう。シドニー・シェルダン作「真夜中は別の顔(上下巻)」を読み終えた時の達成感、そして大人になったような感覚、満足度は大きかった。達成感は次の作品に手を伸ばす力になった、続いて読んだのが同じくシドニー・シェルダンの「私は別人」、そして映画にもなったロバート・ジェームズ・ウィラー作「マディソン郡の橋」、ダニエル・キイス作「24人のビリー・ミリガン」など洋書。なぜ洋書ばかりかというと、洋画に魅せられてしまっていて、国語で読むお話よりもむしろ、海外の物語の方へ興味が先行していたからだった。
活字は本の声である
活字・フォントを作ってきた人がいて、文章が存在する。文字の形態で読み手に与える印象は確かに変わる。大日本印刷の「秀英体開発室」を通して、活字職人のことや、その活字を現在に蘇らせる人たちの姿がルポされている。活版印刷の時代から、WEBなどで使用できるものにしていくための過程、努力、100年後も使用されることを目指した労力たるや…驚きの時間経過を想う。
製本の技
ドイツで7年間製本の技術を学んで「製本マイスター」となって帰国した青木さんの視点から語られる職人たちの姿、興味深い。
表紙貼だけでものりつけ三年膠三年、箔押しなどの技術は補助的な職人で小僧になるには2~3年、箔押し職人となるには5~6年はかかるという。「渡り」として腕一本で製本所を渡り歩く職人たちに支えられていた本。上製本という本が名もなき職人たちに支えられて作れた「作品」であることに、改めて感銘を受ける。
青木さんの祖父の工場は、戦中、天皇陛下の書物を印刷したという経緯から鉄などの備品を提供したりせずに済んだため、たまたま生き残ることが出来たという経緯もまた面白い。
「少部数でも誰かにとって特別な一冊、その人にとって他に代えがたい一冊をつくろうとしたとき、製本の技術が失われてしまっていたら本をめぐる大切な世界がなくなってしまう」
これから先も生き続けて欲しい技術だと願う。
活版印刷
一文字一文字を彫るというところから、組み合わせて文章を作るというとてつもなくアナログワープロの作業。何かの映画で観たような気がすると同時に、何かの撮影でその工場を見たような記憶がうっすらと残っている。この本にも写真が添付されているが、まさに一文字一文字が積み重なった棚がある。宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」の中で登場する「釜じい」を彷彿とさせる職人の力を感じる。
校閲という鋭い眼光
この校閲・校正という仕事、頭が下がるというか、凄いなと。言葉としての知識や感覚、全体性が染みついていないと発見できないのではないかと思ってしまう。
ゲラ刷り(原稿を印刷した段階)で原稿通りかをチェックするのが校正。
内容の事実確認や正誤を含め、矛盾などを洗い出すのが校閲。
時代考証も必要だし、地名なども含めパリの通りの名も本に登場すれば逐一チェック。ある花をシーンの中に登場させてたとしてもその季節に本当に咲いているのか!と季節の適合を確認するという鋭い視点。集中力も凄いが、作家との戦いもあるだろう。そのお仕事っぷりに感服。そこまでしなくても…という部分も時にはあるかも知れない。作家の意図をくみ取る力もまた必要という凄い仕事。
校閲…文章ではないが、例えば映画「ベスト・キッド2」に沖縄や日本の描き方はかなり酷いものがあった。時代考証や人の服装や髪型、また持ち物に至るまでまるで検証されていない(笑)ハリウッドが描く日本はとにかく昔は酷かったわけだが、ネットのなかった時代はきっと偏った情報源や想像や誰かの言い分を基本に校閲していたのかも知れない。
100年後も残る紙を作るために
100年後も残る紙を作るために、何度も何度も化学薬品の調整などをしながら紙を作ってきた歴史。2011年の津波で大打撃を受けたが復活した日本製紙石巻工場や三菱製紙八戸工場。今、こうやって本という形があり、残していけるのは紙の耐久性があってこそ。改めて、紙媒体の力を知る。
装幀という仕事
ブックデザイン、と言ってしまうと部分的に感じられるが、表紙も裏表紙も背表紙も含め、どんな紙なのか、どんなデザインなのか、その本の個性たらしめる大きな役割。「漱石本」と言われる、こだわった装幀、写真付きで拝見。しかし実物を手に取ってみたい衝動に駆られる。
それってつまりは、手放したくない一冊となる力、なのだ。本の中身は二次元だとしても、本という厚さや手触りは三次元である。そのことをまざまざと感じさせる。
今では絵本や画集、詩集などでその装幀の素敵さを感じることが多い。その装幀だからこそ「そばに置いておきたい本」へとなっていく。使い捨てではない、嗜好の高い、アート性の高い、大切な一冊にする重要な要素。文庫本やペーパーバックでは魅せれない本の力が存在する。
あの名作映画「ネバ―・エンディング・ストーリー」で登場するまさに「ネバ―・エンディング・ストーリー」の本の装幀は、子ども心にずっと残っている。とても大切で知的で夢があって人には簡単に貸せない威厳を感じさせてくれた。
一冊の本の中に・・・
こんな私ですが、かつて学研(学習研究社)でノンフィクションの執筆をした過去があり、その際はこのような工程があることなど想像だにしていなかった。ちなみに、その本は「感動シリーズ1 壁を乗り越えて」と言って努力して成功したり、何かを克服した方々を取材してまとめられた本。取材と執筆合わせて数ヶ月。脱稿後から数ヶ月、その時に仕上がった本が郵送されてきたとき、箱を開ける瞬間、匂い、興奮、と今でも思い出される。
私は、記憶喪失になった坪倉雄介さん、熊本県立盲学校アンサンブル部の先生や練習風景を取材し執筆。思い起こせば、何度も何度も編集者(浦山さん)の校閲を受けた。何度も何度も細かく赤ペンで疑問箇所や修正箇所の指示があり、当時は舞台脚本2本と平行して動いており、もうへとへとになりながら書いた記憶がある。作家の想いもあるが、その題材を選んだ人の想いもあり、取材される対象の方の想いもある。この文章のフォントを決めるにあたり、フォントを作った人があり、紙を作った人がいて、その装幀をデザインした人がいる。そう思うともっともっと感慨深くなる。ちなみにこの「感動シリーズ」は全国の図書館や学校の図書室に所蔵されているというお話。Amazonからも購入可能なので、もしお子様の読書感想文などご希望があれば是非お勧めの一冊(^^)/
私の脚本は誤字脱字がとても多く、よくプロデューサーや俳優に指摘されるが(笑)、出版するとなると、もう骨が折れそうでちょっと逃げ腰になるかも知れない…。
まとめ
本を作る過程には、そもそも様々な職人の歴史があって、現在の当たり前のクオリティが維持されているということ。もしかしたら、まだ進化しているのかも知れない。ipadやタブレットが出始めた当初、時代は紙ではなくWEB(Kindleなど)へ移行していくとさえ大きく伝えられた。紙媒体としての本が消えるのではないかとささやかれ、書店は消えていくと…。確かに小さい書店や中規模の書店の多くは残念ながら消えていってしまった。
しかし、近年は小さい書店ながら新店がちょこちょこと増えており、大手の店舗が消えたと思ったら改装して別の大手が復活してきたりという姿をここ10年、目の当たりにしてきた。小さい書店には、そのお店がチョイスしたおススメなどの蔵書。大手には今流行りの蔵書。あるお店にはアート本が充実したラインナップ!本の種類の選別で差別化をはかっていたりして本屋は明るくおしゃれな空間に変化してきている。本はまだまだ生きているし、需要があるということ。
これからも本を「手に取って」読む習慣を楽しみたい。そのページをめくるワクワクを幼い娘にも体験してもらいたいと切に願う。