わたしが「軽さ」取り戻すまで  “シャルリ・エブド”を生き残って


わたしが「軽さ」を取り戻すまで
“シャルリ・エブド”を生き残って


カトリーヌ・ムリス 著・大西 愛子 訳
定価:本体1800円+税
ISBN978-4-7634-0875-4
C0098
発行:2019年2月5日
A5変型判 144ページ 並製

※内容紹介(Amazonより引用)
あの日を境に、私は「軽さ」を失った――
シャルリ・エブド襲撃事件生存者、喪失と回復の記録
2015年1月7日、パリで発生したテロ事件により12人の同僚を失うなか、
ほんのわずかな偶然によって生き残ったカトリーヌ。
深い喪失感に苛まれながらも、美に触れることによって、
彼女は自分を、その軽やかさを少しずつ取り戻す。


序文:フィリップ・ランソン(2018年フェミナ賞受賞)
ウォリンスキー賞(ル・ポワン誌主催)、ジュネーヴ・テプフェール賞受賞
アングレーム国際マンガフェスティバル作品賞候補最終ノミネート

シャルリー・エブド襲撃事件

シャルリー・エブド襲撃事件、皆さんは覚えているでしょうか?
※他の情報では、「シャルリー」と「-」伸ばしているためそのように表記しています。

シャルリー・エブド襲撃事件は、2015年1月7日11時30分
(CET)にフランス・パリ11区の週刊風刺新聞『シャルリー・エブド』の本社に イスラム過激派テロリストが乱入し、編集長、風刺漫画家、コラムニスト、 警察官ら合わせて12人を殺害した事件、およびそれに続いた一連の事件を指す。 テロリズムに抗議し、表現の自由を訴えるデモがフランスおよび世界各地で起こり、 さらに報道・表現の自由をめぐる白熱した議論へと発展した。
※一連の事件とは、別の犯人によるモンルージュ警官襲撃事件、パリ東端部のユダヤ食品スーパー襲撃事件。
※Wikipedia参照

「私はシャルリー」「Je suis Charlie」
「私はシャルリー」「Je suis Charlie」
広場に集まる人々「私はシャルリー」
広場に集まる人々「私はシャルリー」

「私はシャルリー」「Je suis Charlie」

皆さんは覚えているでしょうか?
事件後、フランスで「Je suis Charlie」「私はシャルリー」と看板を持って
被害者の追悼と表現の自由を訴える行進が、各国の首相を交えて行われたニュースを・・・。

被害者の追悼と表現の自由に賛同する世界中の人々が
SNSでも気持を繋いだのを覚えているでしょうか?
Facebookのそれぞれのプロフィールが
あっという間にフランス国旗色になっていったのを。

Facebookのプロフィール
Facebookのプロフィール

この作者は、まさに間一髪のタイミングで生存している
シャルリー・エブドの風刺作家なのです。

『わたしが「軽さ」を取り戻すまで “シャルリ・エブド”を生き残って』感想

著者のカトリーヌ・ムリスさんが生きているのは
運、でしかない。
としか、言いようがない事実。
日常は、あっという間に非日常になる得るという事実。
突き付けられます。

前日に恋人(不倫)の事で眠れない夜があり
朝の会議に、テロリストよりも遅刻して会社に着いた・・・。

本人曰く「味気ない新年」なんて思って
バス停で待っていた、くらいの日常で
本当に、ただ遅刻した日常。
そして、会社に着くや否や
「人質事件が起きている」と入口で聞いて
すぐに避難している。

という情報も、この作品から知るのですが・・・。

ただ、そのタイミングでの生存からの喪失と模索。

現実を受容できるものではなく
衝撃を心の根底にしまい込み
一歩引いた状態で世界を観るような人間の防衛本能。

本人曰く「私は空っぽ」の状態を体験していく。

事件や人の命は重いのに
絵が軽く
そのダークサイドを軽く表現してみせているのです・・・。

絵にはいろんな表現、技法、個性がありますが
新聞のコラム、風刺画を描いてきた彼女の絵のセンスは
さらさらっと走っていて
とてもFlyingしているのです。

それが、或る意味、気持ちの落ち着かない
現実感のない
浮遊感にも感じ取れてきます。

アート作品でありながら、文学的でもあり
貴重な体験を覗いて、一緒に旅するバンド・デ・シネでした。

カトリーヌ・ムリス わたしが「軽さ」を取り戻すまで
“シャルリ・エブド”を生き残って
カトリーヌ・ムリス

当事者の気持ち

先述した、「私はシャルリー」の行進など・・・
それをどう本人が感じていたのか
世界が「私はシャルリー」として訴えていたことが
特に被害者の一人としては
そのアクション事態、何かの勇気になることではなかった。
というのを感じました。

それは、当事者の声や傷
本来、大切にしたいそれらを伝えるアクションではなく
まつりごと、なっていた可能性もある。

そこには、風刺表現に対して
今まで、シャルリーに抗議していた人までが
シャルリーが被害者になると
「私はシャルリー」へと変化することもある、という。
本人が感じる違和感があったのかも知れない。

混同していはいけないのは
風刺画というペンの暴力表現(時に怒りを煽る)と
本当の鉛の玉を使って人命を脅かす暴力(銃殺)と
まるで意味が違うという事だ。

人々の怒りは、「表現の自由」が暴力に屈してはいけないという事に
向かっている。
「表現の自由」が暴力に屈してはいけない 、それに国家権力が賛同している(首相が行進する)ことに、 このフランスや世界のリーダーたちの意識の高さを知る。
※オバマさんは来てはおりません、無論日本の首相もですが。

※日本においての「表現の自由」についての余談

日本も今、まさに、表現の不自由展で
本当に、表現の不自由、を目の当たりにしてる。
権力者側が賛同しているのは憲法が定める「表現の自由」ではなく、「表現のブレーキ」「表現への抑圧」であること。
「表現の自由」そのことを権力者が理解し受容しえていないという空気を感じます。 それは日本のある知事や市長が、世界のリーダーたちに比べて
「表現の自由」を思い違いされている可能性を感じるのです。

風刺画の線画と色彩

基本的にモノクロのはずが
「軽さ」を取り戻すまで
様々なアートに触れていくですが
ペンと水彩の組み合わせが
シンプルで素敵なのです。

〇前半のカラー

水彩のちょっと暗い青と緑が
ペン画の吹き出しや、ちょっとした風景に
使用されています。
サッと描かれているようですが
その瞬間が、ペンに乗っている
色に乗っている
無意識に、色を受け止めて
その重大さを感じたまま読み進めてしまいます。

その中でもP67
このシーン(コマ割がない)がとても好きなのです。
ハグされているのに
オープンにできず、受けとめてもらえず
溶けていく自分を
印象的に1ページにまとめています。

好きだなぁこういうの。

著作権あるので、参考までにArito Artが描くと。とろけるハグ
著作権あるので、参考までにArito Artが描くと。

〇中盤のカラー

アートの旅に出たシーンは
だんだんと、緑や青の色が鮮やかに
黄色、明るく見えるシーンも増えていきます。

特にラストのビーチと空が
「軽さ」を取り戻した姿として、集約されています。

序文でフィリップ・ランソンが記載した
「軽さ」という「重さ」を手にした瞬間だったのだと思います。

「スタンダール症候群」文学の引用多数

この作品で初めて聞いたのですが
「スタンダール症候群」その意味は

《Stendhal syndrome》美術的・文化的価値の高い芸術作品を鑑賞した人が
動悸・めまい・失神・錯乱・幻覚などの症状を呈する心因性の疾患。


※デジタル大辞泉の解説抜粋

カトリーヌは、事件を忘れるために
教会の天井画、ローマの遺跡などをめぐっていく。

この事はとても重要な経験になっている
もともと著者は文学やアートにとても精通していると思われるし
その中で、模索している。
自らが思い立ったら吉日のごとく、Actするんです。
その発想や行動力が、あってこそ。

そこから見える景色を
一緒に、線で体験する素敵な作品でした。

訳者の大西愛子さん

訳者:大西 愛子
1953年、東京生まれ。フランス語翻訳・通訳。父親の仕事の都合でフランス及びフランス語圏で育つ。バンド・デシネの翻訳多数。
「ブラックサッド」シリーズ、「スターリンの葬送狂騒曲」など。

※Amazonより参照
大西愛子さん訳のバンド・デ・シネ
大西愛子さん訳のバンド・デ・シネ

実は、ご息女さんが女優をされているですが、
数年前、山縣脚本のミュージカルに出演をされていたのをきっかけに、ご紹介を頂き、バンド・デ・シネの翻訳をされている事を知りました。

随分前に、松本大洋ニコラ・ド・グレシーの対談を
雑誌で読んで以来、 非常に興味深くて、
実はバンド・デ・シネそのものが気になっていてたのです。
でも、なかなかお値段もするので(笑)
海外の漫画に手を出す勇気がなかった、きっかけがなかったのです(笑)

しかし、遂にそのきっかけを頂きました。
と有難いことに思っています。

おかげさまで、世界は広がりました。

チェリノブイリの春 訳:大西愛子

バンド・デ・シネ、一冊の重さの経験。
チェリノブイリの春
エマニュエル ルパージュ (著), 大西 愛子 (翻訳)

あまりにも素晴らしい絵!
アート作品!
でも、知っているチェリノブイリとは違った世界
教えてくれました。

ジャーナリストが伝える事とは違う視点で
体験ができた素晴らしい作品でした。

バンド・デ・シネの一冊の重さ

まず、日本のコミックでいうと
デラックス本に当たるかと思いますが

1冊の本に対する、時間、取材
カラーの使用率、まるで違う事に衝撃を受けます。

週間連載漫画のハードスケジュールでの制作と違い
時間をかけて、作っているのです。
1年1冊出来ればいい、そんなスタンス。

気になるのは
それで食べていけるの?
他のシゴトもやりながらなの?

島国に住む日本人(Japanese)の自分には
信じられないくらい、素晴らしいスタンスを感じるのです。

一冊の重さ
を受取るんです。

アート、としてちゃんと漫画が根付いてる。
もちろん、日本の漫画もアートですが
日本作品が海外で想われている以上のアート性を
日本人は感じ得ていない感覚もあります・・・。

作家やアーティストのリスペクトが
好きな作家にはあっても
そうでないモノには、非常に弱いというか
そんなふうに思います。

世界をみて日本を知る、そんな事にもなりますね、きっと。
とにかく、その作家性にアート性に熱い一冊になります。

まとめ

4月に購入して、一度読み
そして、時間を空けて、再度読み直したのです。

最初、初見の主観からは、情報が頭に入ってきて
今、現在の主観はからは、内容を把握しているからこそ絵そのものに視点が向いて、はっとさせられたのです。
自分に変化があったのか
ちょっと違う感覚を覚えました。

アートがいかに重要か
文学がいかに重要か
それをシンプルに伝えてくれた書、かも知れません。

辛い時に、映画を観よう
心が重い時に、絵を観賞しよう
救われない時に、本を読もう

と、人がするように・・・

ペンは剣より強し Arito Art
ペンは剣より強し Arito Art

そして、人の経験から
自分を知る事できるの可能性をアート全般にはあります。
この一冊の出会いが、そんなに一冊になれば素敵ですね。
おすすめの一冊です。

この本を探したとき
最初「バンド・デ・シネ」のコーナーを探していました。
しかし、発売当初から探していたのに見つからなくて・・・
ところが、池袋の三省堂書店で見つけた時
「あ、どうりで見つからないわけだ」
と思ったのです。

この作品は、「バンド・デ・シネ」コーナーではなく
「文学」のコーナーにあったからです。
早く書店の検索機会で調べれば良かったのですが(笑)

About aritoo

アーティスト(俳優、脚本家、演出家、絵描き)として、感じたままを様々な媒体を通して放出。また芸能プロで演技講師に力を入れ、現在メソードアクティングを紐解きながら世界で通用する俳優を育成する。

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