演出家/俳優 芝本正さんに捧ぐ(大学生の頃、大阪で初舞台を踏んだ記録)


先日、とある大阪出身の俳優の方とお話をしたとき折に触れ、「大阪と言えば、芝居小舎(しばいごや)っていう劇団知ってる?」と聞いてみた。すると、「知っている知っている、大阪では有名ですよ。見たことはないですけど」と返事が返ってきた。大阪の大御所の演出家/俳優が主宰だから有名だよなぁなんて思いながら、20年以上前の劇団が今も残っていることに驚きを隠せず検索しました。
そこで、劇団のHPから衝撃的なご挨拶を目にしたのです。
「芝本正さん、永眠」

私が俳優を志して、初めて出演した舞台の演出家が芝本正さんでした。
その芝本正さんが、2018年12月18日、永眠されたことを
本日2023年5月23日に知りました。

ご冥福をお祈りいたします。

芝居小舎 芝本正さん

芝本正さんとの出会い

1999年、青年の私は大阪の養成所T&Mというところでくすぶっていました。
まだ大学生の身分でありながら、もうベクトルは俳優に向かっていて、とにかく自分を試したい気持ちが爆発しそうな毎日を送っていたのです。
ある時、養成所の方から、「芝居小舎という劇団がキャストオーディションをするから挑戦したい人は教えてくださいね」と言われた時、「やります!」と即答し挑戦しました。生れて初めての舞台オーディション。心も身体もソワソワとして、落ち着かなかった印象があります。いざ会場に向かうと、控室に通され座って待つこと数分。オーディションの部屋に呼ばれて入室。

大きな部屋の中には、長机があり、そのセンターにいかにも重鎮の雰囲気を出した方がタバコをふかして座っていました。そのいかにも只者ではない雰囲気の方こそ、芝本正さんだったのです。(当時はタバコを吸いながら稽古をしたりしていた時代です)

何をやったかはよく覚えてはいないのですが、しゃべりながら、口角が上に上がり「ニヤッ」としたかと思うと真顔に戻る口の動きに本心が見えない怖さを感じたのを今でも思い出します。
また、補足で言いますと、芝本さんの隣には、小西由貴さん、反対側には、当時看板俳優の岩佐好益さん。

演劇集団 芝居小舎の出演は2回ほど

実際に芝居小舎にお世話になったのが1年ほど。
合計2回の舞台を踏みました。最初こそオーディションでしたが、次作に当たる作品は当劇団初のオリジナル作品。興味をそそられており、俳優兼作家の田中悟さんから私を役をイメージして書いていると言われたので、もういっちょ!という熱い気持ちで出演をしました。(全然熱だけで頑張っていた青年山縣です)

【バイオグラフィー】
・1999年4月 第5回公演の「極楽トンボの終わらない明日」作:高橋いさを 演出:芝本正
・1999年8月 第4回公演の「ゴッドブレスユー 青春狂奏曲」作:田中悟 演出:芝本正
芝居小舎 公式HP参照

芝本さんの演出

芝本さんは、歩き方やしゃべり方、そんな部分まで細かく俳優によっては指定する演出家でした(少なくとも当時は)。新人俳優たちには特別レッスンのような形で小西由貴さんが演出助手/女優として、稽古前の1時間前に呼び出され特訓をするメニューがあったり。
こんなふうにやって欲しい(演じて欲しい)を言葉ではなく、自分がやることで伝えてようとされていて、演者たちはその形に向かおうと必死でした。もちろん、私も必死でした。

芝本さんは強い口調でダメ出しをされることもありますが、概ね優しく、私の演技に関しては笑い声が聴こえたり、絶対こうだ!といった様子もなく、若手で新人の私には自由にやれよ、とった感じで背中を押してくださったように思います。もしかしたら形に当てはめるまでもなく困った奴だと思われていたのかも知れませんが・・・。

とにかく、温かい眼差しであったのは今でも覚えています。
そして、タバコ、煙、口角が上がった後にすぐに下がる口もと、すらっとした身長、笑い声。

※現在の山縣の演出と講師として指導する演技方法とは違った内容です。

2000年、東京に旅立つ

2度ほど芝居小屋に出演したあと、「次の公演はどうするの?」「劇団員にならない?」という感じで小西由貴さんや、他劇団員、客演の方に打上げなどで言われたのを覚えています。
当時、「俺は天下取るで」みたいな野心が凄くて、「名優になるで」と意気込み、「映画やドラマに出ないと成功できない」と燃えていた私は2000年3月に大学卒業後、上京する意思があることを話していました。
映像の仕事は東京に行かないとない、といったお話や、関西ドラマでも主演は東京から呼んでくる状況を聞かされていたので、東京に行くことに迷いはなかったのです。

2回目の出演後、舞台の打上げの席でも、上京するお話をしていたら少し寂しそうな皆さんの顔。
(別にそんなこともなかったかもですが・・・私の美化した記憶かも知れません)
打上げの2次会のカラオケでは、芝本さんや小西さんは不在。結局、芝本さんには上京の話はしておらず、人づてにきっと伝わったのだと思います。そして、その2回目の舞台が終わって打ち上げ1次会以来、私は芝本さんに会っていません。それが、芝本さんとのお別れになってしまったのです。

上京直後、当時の出演者から電話があり、「東京に行ったの?」と聞かれ、「うん、そうだよ」と答えた際に「芝本さん、寂しがってるよ。若いもんは皆、東京に行く・・・って。だから大阪に俳優がいなくなるって」

確か、そんな話をしました。
それも東京都杉並区荻窪のタウンセブン2階の駅直結の道だったのをしっかりと記憶しています。

芝本さんに直接挨拶もせずに、旅立ったこと。そこに、自分の不義理を恥じると同時に後悔したのです。
芝本さんは、私が次の舞台にも出演すると思っていた、といったニュアンスの話を聞いて、「そうか、芝本さんは私が上京することを知らなかったのか・・・」と。
自分からちゃんと伝えておけば良かったとも。

芝居小舎で出会った方々のその後

1年しかお世話になっていないのですが、素晴らしい俳優さんたちがいて、多くの刺激をいただきました。また舞台づくりの面倒くささ(笑)、小道具、大道具に至るまで準備の大変さ、また劇団員の超絶大変さ(演技以外にやること多し)を現場でたくさん学びました。
当時、お世話になった俳優の方のその後を紹介しておきます。

田中悟さん

田中悟さんは、当時芝居小舎の劇団員で、6回目公演の脚本も手掛けた方です。今でも交流のある方。当時の演技もとても熱量が高く、ただただ青年の私には眩しかったのです。今では大阪でギターで弾き語りをしながら、芝居の他に歌でも活躍されています。

岩佐好益さん

当時看板俳優の岩佐好益さんは、大阪で現役で俳優活動をされているようです。ネットで検索したら出てきました。1999年以降、お会いしていませんが、繊細な表現も声も、動きも素晴らしい俳優さんで圧倒されました。あと、筋肉が凄かったです。現在の活躍も知り、胸が熱くなりました。私のこと、覚えていますか?

辻本修作さん

第5回公演で主演を演じた客演の辻本修作さん。実は、上京後に再会。当時の演技とは真逆に当たるメソードアクティングをされており、私が目指す演技とようやく出会えたのでした。その後、私の作品に出演してもらったり、辻本修作さんの劇団で、脚本提供や演出をしたり素敵な機会に恵まれました。

田中弘史さん

T&M養成所時代に、講師としても指導してくださいました、田中弘史さん。脚本家としても有名な方で、舞台を観に行ったりと勉強させてもらいました。その後は、お会いしていないのですが、検索したところ昨年2022年4月28日、永眠されたそうです。
心よりご冥福をお祈りいたします。

感謝先にたたず・・・(まとめ)

二十歳そこそこの自分にとって、大阪の大学時代に経験したこと全てが新鮮で強烈な印象が残っています。

感謝ということをしっかりとせず、自分が一番であり、成功までの道のりは全て踏み台のようなニュアンスで考えていた伏しがあります。今から考えると何と恥ずかしいことでしょうか。
成功すれば、逆に私のことを発見してくれる、とまで思っていたくらいです。若気の至りではありますが、本当に・・・申し訳ございません。

温かい眼差しで観てくださったこと、感謝しております。

右も左も分からない田舎から出てきたバカな私に、優しい指導をありがとうございました。厳し過ぎたらきっと演技が嫌いになったかも知れません。大きな目で育てようとしてくれていたのだと思います。

ありがとうございました。

今の私があるのも、芝本正さんのおかげです。

2023年5月23日
山縣有斗

About ひころーる

イラストレーター ひころーる 2011年に「めぐりのおと」の絵本を描いてから 個展を5回開催し、どれも好評を得て 調子に乗って、受注販売をしたり イラストレーターのお仕事をいただいたり 非常に恵まれてきた環境です。 美大も美術系専門学校もでていない私が イラストや絵を描き続けられる環境にあることに 感謝しながら、コロコロと状況を お伝えしていきたいと思います。 ※活動が多岐に渡って経験を備えてきました。 それぞれ専門のブログやウェブサイトがありますので、 こちらはイラストレーターに寄せたものにしていきます。