思い出すと、「来年の誕生日は、パパになっているんだねぇ」なんて話しながら過ごした2019年12月19日(私の誕生日)。2020年12月19日は、本当にパパになっていました。無事に子どもが生まれるまでは安心できないし、父親になる事を自覚しつつも、ちょっと真実に届いていないというか、確信をもって言えない感覚でした。例えるなら、宝くじが当たったとしても、現金に換えるまで本当だと信じられないような、そんな気持ちだったのです。そう思っていた昨年から考えると、子育てをしながら今も穏やかな気持ちで過ごせる事に、感謝しています。
目次
パパになって
とにかくもう、可愛くて可愛くて。癒されること癒されること。何度「可愛い」とつぶやいただろうか分からない。「可愛い」と素直に感じたまま言葉にするだけで、幸せが増していくような感覚です。そして自ずと心が温かくなる。
言い過ぎ?いやぁ、ホントなんです。ぎゅっと握る手、大きなオナラ、大きなゲップ、小さなアクビ、大きな泣き声、寝返り、寝返りできず悔し泣き、寝返りから元に戻れない悔し泣き、ハイハイ、嬉しくなって親の顔を見る目、上がる口角、笑顔、笑い声・・・。生きてるだけで丸儲け、と誰かが言ったが、それがここにある、そんな気持ち。そして、みんな赤ちゃんだったので、自分もかつてそうだったのだ、という事を否応なく感じさせてくれました。
子どもは何も持たずに生まれてくると思われがちですが、0スタートではないんだってことを自覚しました。既に持って生まれていてる。他の赤ちゃんを観ても、性格を、個性を、持っています。お腹にいた状態から受け取るもの、感じられたものは、当然人それぞれ。そして、この世界に出てきて自ら呼吸して、親を見極めます。親が子に無償の愛を持つと言いますが、おそらくまずは逆で赤ちゃんが無償の愛を親に放出してるのではないかとさえ思います。その後、その子の親から愛されると感じられて育つのか、愛されてないと感じてしまって育つのか、その大小によっても大きく影響していくと思いますが・・・。前者でありたいし、努力なくそう思えていることもまた有難いのです。
パパになって変わったこと
何が変わった?とよく聞かれますが、赤ちゃんをたくさん見るようになりました。というか自然に目が行くようになりました。そして可愛いと思う事がパワーアップ。赤ちゃんとすれ違うだけで、何だか嬉しくなる。走っている子どもを見て「走るってすごいことだなぁ」と感心してしまうのです。
出来ることが当たり前ではないというか、出来ないところから始まっていることを改めて突き付けられて、出来るようになることの凄さや素晴らしさを追体験できるのです。それは人の子を見ても同じ。
同じ出身県の人に同感を覚えたり、同じアーティストのファン同士で共感したりってあると思うんですが、子育てをしている人に対する、また赤ちゃんに対する共感や親近感が凄くなっているのを沢山実感します。もし、私に子どもがいなくてもそのような目線が持てたなら、きっと世界は素晴らしくなるだろうなぁと思うのです。
もし20代に父親になっていたら
もし20代に父親になっていたら。自分のやりたい事に一生懸命過ぎて、きっと家庭は真っ先に崩壊していたでしょう。俳優業、演出家業、脚本の執筆としての時間、もう朝から深夜まで動き回っていました。執筆する、役を生きるための勉強も含め、とにかく時間が1分1秒でも惜しく感じられ、自分の時間がすべてでした。深夜、劇団員のバイクの後ろに乗って、劇団員の家に行って打合せや作業、とにかく時間など関係なく走り続けていたので、結婚なんて想像できなかったし、子どもがいたらきっとダメな父親になってしまっていたと思います。ほとんど家にいない状況でしたので、気が付けば飼っていたハムスターの「ちゅう太」は亡くなってしまいました・・・。
もし30代前半に父親になっていたら
30代の前半に父親になっていたとしても、やはり厳しかったかも知れません。自分からほとばしる何か凄いエネルギーを抑えながら父親になっていたら・・・どうだったでしょう。20代で培った力をさらに爆発させて行ける自信にあふれ、30代半ばまで、いかに自分の力を社会に放出し、還元していくか、どのような方法がいいかを模索し表現していきました。世界を見ながら、俳優や脚本家や演出の勉強にも夢中になってしまっていて、きっと家族がいたら目の前の事は観れていなかったでしょう。
30代後半、実は、ずっと結婚もしたかったし、この頃には子どもがいたらいいなぁと願っていいました。家族が出来て東京を去る仲間、俳優業を辞めるモノ、30代を見つめてきて・・・家族がいる時間がどんな影響を自分に及ぼすのか、想像しながら考えていました。脚本の中にも家族の物語がたくさんあって、想像や自分のこれまでの家族の経験をもとに描いてきましたが、もっともっと身近な視点があるのかなぁ、体験でいていないなぁ、なんて思っていたのです。
想像では、毎日おぎゃーおぎゃーと泣いている赤ちゃん
新生児だと、毎日おぎゃーおぎゃーって泣いているイメージを持っていて。お腹が空いたら泣いて、痛かったら泣いて、思い通りにいかなかったら泣いて・・・泣いて、泣いて、泣いて・・・なんてイメージが先行していました。
一緒に暮らしていかないと、その辺って見えないですね。ずっと泣いているわけじゃないし、愛らしい姿や仕草、温もり、成長していけば色んな音をしっかり出してこちらに向けてくれます。当然ながら泣いている時間より泣いていない時間の方が長いわけです。
また、赤ちゃんの大きさも、新生児の小ささに衝撃を受けました。ドラマや映画で登場する赤ちゃんってだいたい大きいからです。海外のヒットドラマのひとつ「LOST」はご存知ですか?無人島に飛行機が墜落して・・・(みたいな結果は違うのですが凄いドラマ)。登場するアーロンという赤ちゃんのデカさは絶対に新生児じゃないっていう(笑)赤ちゃんに対して、ドラマや実生活でもなんだか敏感にチェックする事が多くなりました。ちなみに「This is us」(Amazonプライムビデオ)のドラマには、三つ子の新生児がちゃんと登場します。
育休について
実は、コロナ禍という事も合わせて、4ヵ月間ほとんど私は家に居ました。私なんて、生きていくのがやっとのライフスタイルですが、たくさん稼ぐより、子どもと妻の近くにいる方がよっぽど気持ちが豊かで、それを望んでいます。多少貧乏でも、一緒に暮らす楽しさをエンジョイしたい気持ちがあります。(もうちょっとお仕事欲しいけどね(笑))なので給付金は少ない額ながら助かったのも事実です。
オムツ交換、妻が母乳で授乳する生活の中、妻と交代で赤ちゃんをあやしたり、「一緒に初めて」を経験する事が、楽しくて、ワイワイ、ソワソワと2人で経験していけたことは、2人にとっても良かったです。その時間が、どんなに大切か、またお互いの経験において重要であるか、ワタワタと確認し合える時間にもなりました。とにかく、ほんと楽しい時間ばかり、と言えば言い過ぎだろうか、ちょっとした大変さも、なんだか笑いながらいられていることがまた幸せ。一緒に勉強をしていくような感じ、これっていいですよね。
実は、私が毎日、料理に洗濯やるぞーなんて思っていて、独身時代に磨いた「野菜炒め」レパートリーを沢山用意していたのですが(笑)、料理は妻が気分転換にいいというので、お任せ。そして、その間は、赤ちゃんの面倒を見ながら過ごしたり、お皿洗いは私がして、お風呂は新生児のうちは一緒にやってなど、役割分担しながら、赤ちゃんの一挙手一投足に笑顔をもらっていました。共有する時間は夫婦にとっても赤ちゃんにとってもとても大切な時間だと思います。フォローし合う事は当然ながら、一緒に過ごす時間が多ければ多いほど、お互いにとって良いなぁと感じられていると思います。
赤ちゃんは2~4時間置きにお腹が空くし、おしっこやうんちはしょっちゅうするし、オナラはたくさんするし、眠たくても力の抜き方が分からなくて泣くし、大人がトイレに消えて気配がしないと思うと心配になって泣くのです。つまりずっと目が離せないのです。パートナーとフォローし合う為にも、育休は当然取れる社会がいいですよね。企業によるし、様々な事情がある方もいると思いますが、コロナ禍で自宅で仕事が出来る人が少なからずいたという事は、子どもの近くで仕事が可能だった人がいるという事だと思います。さらに育休がしっかり取得できる世界になればと思っています。
女性の活躍が先進国でも最低レベルのジャパンから見る、おっさん社会(男性優位社会)という価値観。
通常のサラリーマンは育休が今も取りにくいという話、聞きます。政治家だって誰か育休を取得しようとしてバッシングされていましたし、ある大臣なんかは1週間か2週間?でしたよね?いやいや足りません。妻や子が一番いて欲しい時にいれていないのが現状ではないでしょうか。仕事面で自分のポストを1年間空けるのはリスクではなく、ヒトとして学び続ける大切な時間として、会社や社会でのフォローが必要に思えてなりません。
正直出産後の女性の体は、事故にあった後とも例えられます。全身打撲とも例えられますが、そんな中で、パートナーとして出来ることをしたいですよね。
子育ては母親がして、男がお金を稼ぎます、という昔ながらの視点。男女の賃金の格差が根強いし、一部若い企業であれば変化していると思うのですが、子どもが出来たら女性は仕事を辞めるんでしょ的な目線は広くありますよね、きっと。
当然現在において、もはやバカげた世界だなぁと思うのです。そんなおっさん社会はやはり変化していくべき時期にずっと前から来てるのです。このおっさん社会で育てられた子どもは、当然おっさん社会の価値観で最初は生きていく限り、おっさん社会はずっと続いてしまうのです(笑)
正直に言うと、育休として私も4ヵ月ずっと一緒に家にこもっていましたが、それでも時間は足りません。現在子どもが生後8か月目に入りましたが、夜泣きが始まったのが7ヶ月前後、その夜中の大変さったらないですよ(笑)
離乳食が始まった5ヶ月目以降、その準備も大変です。その準備の際には、赤ちゃんをほっておくことは、なかなか大変です。そういったこと連携プレーする事がお互いにとって大切だと思います。
半日一緒に2人で赤ちゃんと過ごす
妻がどうしても行きたい用事がある時、初めて半日まるまる赤ちゃんと2人で過ごした時(いつも一緒だったので)、自分がトイレ行くだけでも大変なのです。抱っこしていたら置いていくと、声を出しますし、寝かせるタイミングでもないし・・・。お腹が空いたら、冷凍した母乳を解凍したり、その間ずっとだっこしていて腕が筋肉痛(笑)
当然、その間だけでもサポートがいたらどんなに助かるか、ですよね。好きな時にトイレにも行けないのです。会社でもそんなことあるって?でもある程度、自由意志で決定して行動できますよね、自分で行動をコントロールできるはずですよね?お茶や珈琲を飲んだり、ちょっとトイレに行ったり、スマホを見たり。しかし、赤ちゃんと一緒の場合は、24時間赤ちゃんを見ながら生活するので、自分の行動をコントロールするのではなく、赤ちゃんの行動に自分を合わせながら優先順位を検討してくのです。一瞬目を離した瞬間に倒れてしまうことなんてザラ。そして、赤ちゃんと2人で過ごす時間が長いほど、少し心細くなっていく自分がいました。妻の帰りが待ち遠しいっていう・・・。そして、妻の帰宅後のちょっと抱っこを交代する時の安心感といったら。
社会が子育てを見つめていく
社会的に、国策として是非、子育ての助成・支援をどんどん作っていって欲しい。そして、大学の無償化もです。ドイツやノルウェー、フィンランドなどぜひ参考にして欲しい。宿題がなく興味を持ったモノに対して学力を育てるフィンランドの学力が現在世界的に学力一位なのです。知っていますか?宿題なんてやったことないんですよ(笑)そんな最先端の在り方を参考に出来ないのは塾ビジネス、学校ビジネスが、政治と絡んだお金まみれだからなのでしょうか??サラリーマンを育てるシステムでしかないバカらしい学力のつけ方に、私は中学校の頃から学業にうんざりしていました。このサラリーマン育成システムをやっぱり改良して欲しいし、改良したい。自分の子どもには違う環境を、なんて思ってしまうのです。ぜひ、日本も参考に出来ることは参考にして、ぜひ政治から教育を変えて欲しいものです。
何か私に出来るかなぁと思いながら、芸術方面からやはり訴えていきながら、しっかり時分の一票を使っていくしかないのか、と。つまり子育て視点で政策を考える事の出来る人がたくさん必要なのです。
村社会だった頃とは違う、個々の社会
昔は村のように小さな社会で、子どもが生まれたらきっと、村人がその子を知っていて面倒を見たり、知識を共有してきたと思います。それが断絶した今、個人個人が、「子育ての方法」「子育てで利用できる制度」を知る機会がないまま、親になって初めて知る社会なのです。誰も教えてくれないまま、知ろうともしないまま、の関係で生きているのではないでしょうか?子どもと生活している人が近くにいたり、同居していたいりすれば、きっと気が付く事や知ることもあると思います。しかし、核家族が進行した今、個別に当事者となった時、或いはめちゃめちゃ興味があった場合のみ知るという状況なのです。
例えば妊娠が発覚した場合から、出産まで、またその後の社会制度を利用する事こそ、学校で教えて欲しい事だと思います。
出産育児一時金という制度
これは欠かすことの出来ない大切な制度だと思います。皆さんはご存知でしたか?出産費用として保険で42万円が支給されます。
ちなみに、ご存知でしたか?次の流れ。赤ちゃんが出来て、産婦人科で診察し出産まで半年以上ある中、まず出産する病院を決定して予約しないといけないシステム。予定日が分かったら、病院を選択して予約。病院によっては予約がいっぱいで受付不可なんてことも。
そして、だいたい出産費用は42万円ということで出産育児一時金が国保や社保から支払われるのですが、基本的に42万円は出産費用で、入院費は別。つまり入院費を入れた場合は42万円ではおさまらないのです。既に足りない上に、帝王切開や無痛分娩、食事の選択や個室希望のランクを上げるなど、希望した場合のオプション代がさらに発生するのです。病院よっても値段も違っていてますが出産育児一時金以上が普通です。もともと足りない上に、違うことを希望した場合は、さらに上乗せで支払う必要があるのです。その後の金額的な支援は、毎月15000円の支援のみ。さてさて、非正規雇用が4割を占める日本。それってつまり年収が200万前後の人が4割を占める日本において、金銭的に子育てを応援していますか?という事なのです。
少子超高齢化、ですが、もう少し子育て環境に目を配って欲しいものです。
当事者になって初めて気が付くことも
駅内のエレベーターはベビーカーを乗せた場合は、1組か2組が限界。お年寄りなどを含めると、改札を出るまでに長蛇の列で数十分かかることもザラ。エレベーターの数も少ない上に、スペースも狭いのが現状。誰目線?でエレベーターを作ったのか。そう、たぶん健康な人目線なのです。
実は、賃貸の我が家のキッチンのシンクについている蛇口の形状からも思ったことがあります。我が家の蛇口の首部分は「[」を横にしたような形で洗いにくいのですが、蛇口の首の形が「∩」の形状であればシンクの空間は広く洗いやすいのです。つまり設計した人が普段、キッチンを使用しない人なのではないかと思えてなりません。当事者じゃない方がこのパーツを選択したのではないかと思えてならないのです。普段水回りを利用する人、または主婦の方が設計に携わっていれば、きっとこのパーツを選択しなかったでしょう。※個人的な憶測ですが(笑)
基本的に政策なども当事者が関わることなく、おっさんが制度を決めていくので、どうにもこうにも・・・必要な人に行き渡りにくい制度が生まれているのではないでしょうか。だから、山本太郎さんが、障碍者の方を参議院に当選させて制度について考える視点をもたらしたことは当たり前のようで凄い事なんです。
多様性が大切な社会
多様性が大切な社会ですが、まだそのようになっていないのが現状です。いまだに画一的な学校の試験の評価、授業内容や「塾に行かないと勝てない思考」が変化しない限り、おっさん社会は変わらない。高得点者が優位な気分に浸っていきかねない、自分こそ特別という気持ちから人を見下して作る世界は嫌ですよね。点を取る事が得意じゃない人は違う事が得意かも知れない、それを伸ばす学力の方法。それってフィンランドな考え方なんです。それって、きっと性に対してもそうなんですよね、色んな性があることが前提で、それぞれに受け入れていくことが当然というか。
色んな生き方、勉強の仕方、視点を学べる方がよっぽどこれからの社会に有意義じゃないでしょうか。今の子どもたちは、我々親世代よりも、より自由に色んな学び方をしてきていると思いますが、大人になった時に出会うのは、「現実は違う、おっさん社会だった」という事になりかねない。それだけは避けたいですよね。
まとめ
とにかく、今、一緒に過ごしている時間が貴重過ぎてたまらない。夜中2時、夜泣きが始まった時、何をやっても泣き止まなくて「もう、どうして泣き止まないんだ!」って、ムキーってちょっとなったんですよね。力づくで寝かすしかないのか、力で押さえてやる、みたいな嫌な感情が生まれたのです。
翌朝、その事を反省して、夜泣きについて調べてみると・・・。脳内や体が成長している過程でもあるとありました。寝たくても体が起きて寝れなくて、力の抜き方も分からなくて泣いているともありました。それってつまり、赤ちゃんだってどうしていいのか分からないんだ、という事。それって当然っちゃ当然なのかも知れないですが、うまく寝れないのが当たり前だし、こっちが予定通りにいかないのが当たり前、という事を受け入れたときに「寝れないんだったら、寝れるまで付き合うぞ~」という視点に代わりました。翌朝が早くたって、全然かまわないぞ~っていう気持ち。すると、あの手、この手と夜泣きに対応する楽しさが生まれ、「お互いにこんなこと初めて同士だね」って気持ちで今もいれています。
大前提、大人の思い通りにいかない事。大前提、仕事をしていたらスムーズには進まない事。それを自分の前提に置いた時、とても気持ちが楽になりました。というか計画通りに仕事する、目標を決めたらそれに向かって突進するような美学の中で生きている中、「うまくいかないのが当たり前」とした時に、逆に自分の世界は素晴らしいモノに感じられます。このblogだって、思い通りに書き上げれない。ちょっと赤ちゃんがこっち観ていれば、それに応えながら書くのです。それがいいし、それが楽しいのです。
そんなゆとりで世界がまわれば、なおいいですね。と思っています。
One thought on “パパとなって8ヵ月、思うこと。※ぽこちゃんダイアリー番外編”
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