「ザ・ビートルズ:GET BACK」あの頃に戻れなかった最高の世界


Disney+(ディズニープラス)の独占配信による、
3部構成で合計7時間半に及ぶ、
まさに伝説のバンドの伝説のドキュメンタリー映画。
悩んだ末に、これをきっかけになんとDisney+と契約する決心がつきました。

ちなみに3部構成は下記のような感じです。
Part1:第1~7日目(157分)
Part2:第8~16日目(157分)
Part3:第17~22日目(139分)

さてこのドキュメンタリー映画は、まさに録音スタジオを覗いているかのような、私がその空間にいるかのような錯覚に陥ってしまうくらいビートルズとの距離感が近い。だからこそ、夢中で見てしまったし、終わってしまうのが寂しくて一気に観るのを躊躇してしまうほどでした。
40代の私ですら当時のビートルズが生きた映像を見ることは少ないので、かなり貴重な映像なのではないでしょうか。「生きた映像」と言うのは、PVや映画として、またニュースとして見た映像とは違い、「人として普通に生きている映像」という意味です。いやいや、これまでも全部人として生きた映像だったじゃないかと言われればその通りなのですが、作られた世界というよりは、「スタジオを勝手に覗き見ている」というプライベートなものを見ている錯覚に陥るのです。
もちろん、彼らがカメラを意識したパフォーマンスをドキュメンタリーと言えどもしていますが、その隙間隙間に「本当かも知れない顔」が見れることが、1ファンとして嬉しいことこの上ないのです。しかも一部は内緒で、隠しマイクで音声だけ録音していたジョン・レノンとポール・マッカートニーがジョージ・ハリスンに対しての発言も聞き知ることができるから貴重過ぎる。
あまりに有名なこのバンドの、既にあまりに話題のこのドキュメンタリー映画は、もはや色々と感想が出回っているので今更私が説明するまでもないのですが、個人的に楽しんだ記録として記しておきます。

ビートルズ解散!?の場面はあるのか?

多くの方が気になっているのは「解散が明確になる瞬間」なのではないでしょうか?
はっきりと言ってしまうと、ここには明確なその瞬間はありません。しかし、解散への道があるとすれば、それまでの蓄積の片鱗を見てとることができます。

どんなドキュメンタリー映画なのか?それはビートルズの無謀な挑戦でした。

この映画の中で何が行われようとしているかというと、3週間で新曲を14曲作って1枚のニューアルバムをライブ録音で制作するという無謀な挑戦なのです。その期間は、1/2~31までで、基本的には土日休み予定でしたが、急遽休み返上でスタジオに篭っているので実質22日間。1日経過するごとにカレンダーに「×」で埋めていくように演出。そして、カレンダーの1/31には「Last Day」の文字。

3週間で14曲の新曲で1枚のニューアルバムをライブ録音で制作するという無謀な挑戦だけではありません。なんと、最後はショーでお披露目するというざっくりな企画が進行しています。どのような経緯で確定した内容なのかは明確に映画では出ていないですが、全員がそのつもりでスタートします。どのくらい凄いかって、新曲は例えばメロディを生んだとしても歌詞も当てはめなければならないし、ギターやベースやドラム、コーラス、ピアノを入れるなどの各楽器のアレンジも含め1曲に仕上げるためかなり骨のいる作業。しかも、その1曲をライブで演奏するには楽譜をほぼ覚えていないと不可能なのです。つまり作詞・作曲・編曲・記憶、ということを14セット。またライブ録音なので、撮り直しを考えるとかなりの演奏時間になります。よくもまぁ、この企画が動き出したなぁとちょっと今考えても無謀過ぎて驚きますが・・・。

ちなみに、お客様の前での演奏、つまりライブは3年ぶり。

あのビートルズさえも、人前で演奏することにナーバスになっていて、それをどこかで「ザ・ビートルズ」として克服したいような気持でいるように見て取れます。実際に「僕らは臆病になっている」なんてポールが言っているほど。

私とビートルズ

「私たちの天使展」で描いたジョン・レノン
2018年作
「私たちの天使展」で描いたジョン・レノン
2018年作

40代半ばの私(2022年現在)がどうしてそんなに興奮してるの?なんて思われるかも知れませんので、ビートルとの出会い(笑)をちょっと説明しておきます。

実はビートルズは、母親がファンで物心ついた時には車の中でしょっちゅうその名曲たちが鳴り響いていたのです。ちょっとお買い物に行く時、また家族で車で旅行に行く時など、何度も耳していて覚えてしまうほどの威力でした。覚えているフレーズは「イエローサブマリン」のサビだったり、「オブラディオブラダ」だったり。「イエローサブマリン」なんて子どもの耳には「イエロサンバリン」と聴こえていて、一緒にサビを口ずさんでいたほどです。ビートルズの名曲が入ったカセットテープが車の中にたくさんあったし、母親がファンだったので母親が「聴きたい」というとビートルズが流れていたのです。ちなみに父親が聴くのは「かぐや姫」「五輪真弓」「都はるみ」で、ビートルズの間にそれらがたまに登場するような感じした。それらももちろん好きですが、日本の楽曲にはない異質感がビートルズにはあってその名曲たちの印象は45歳になった今も耳元に残ってるのです。洋楽の始まりはビートルズだったと言っても過言ではありません。その後、ロッキー3の主題歌のレコードを買うまでは、私にとっては洋楽といえばビートルズだったのです。そして、家族旅行のワクワク感と一緒に。

Part1:第1~7日目(157分) ジョージ・ハリスンの脱退の騒動が、見えてくる時間。

ジョン・レノンとポール・マッカートニーという二大天才の中にいて、それぞれの音楽の方向性などが変化し、当然ビジョンがそれぞれあった頃のスタジオ集合。メンバーみんな10代の頃からバンドを組み、その中で最年少で参加していたジョージ・ハリスンの葛藤にスポットが当たる。意図的に彼のアップや泳いだ目線に目が行くようになっています。自分でも作詞作曲をして多くのストックを抱えアーティストとして大きな成長をしたジョージ・ハリスンの立ち位置。例えるなら「親の前ではいつでも子ども扱い」のような精神的な立ち位置だったバランスが、この現場では耐えられなくなってしまう。それまで楽しそうにセッションをしていたのだが、ある時々のジョージの意見やリクエストがあえなく却下されていくことが見て取れる。すべてのリードをポール・マッカートニーが握っていることに対して、大きなフラストレーションを抱えているジョージの目。そして、「ビートルズを辞める」と彼は立ち去ってしまう。

4人の完全合議制だった・・・わけもなく

4人の完全合議制でやってきたと建前があるビートルズ。
完全合議制が完全に4人合意であり続けることは、なかなかできないのが実情ではないでしょうか。リーダーや実質的リーダーシップを握っている人がどうしても強くなってしまう。ましてや多くのヒット曲を生み出してきたポールとジョンの立ち位置はやはり大きいに違いない。それを自覚しているからこそ、ジョージは一歩引きながら、リンゴも一歩引きながら、合意体制が出来上がっていたということ。その中で、抑圧されていたジョージの傷口が開いていったといっても過言ではない、と感じられました。

オノ・ヨーコが本当にべったりだった件

スタジオの中であろうと、オノ・ヨーコはジョン・レノンの隣にほぼずっとべったりといる。ポールも述べていたが、「ジョンがそれを望むのならいいんだ」というスタンス。他のメンバーも家族や彼女を連れてきては現場の様子を見せている。そこに居てはいけない存在ではなく、居るから創造性が生まれるのかも知れない。ジョンもそのようなコメントを別でしていたようですが。
かつてはビートルズは、スタジオに友人や恋人を連れてくるのはNGだったようですね。しかし、オノ・ヨーコとジョン・レノンのフェアな関係が、そのNGを覆していった様子。このドキュメンタリーには、メンバーの家族や恋人がジャンジャンスタジオに遊びに来るようになります。なんだか自分もその場にいる気分になってくるので、とてもフレンドリーな空間として私も見てられるのです。オノ・ヨーコとポールの不仲説や、他のメンバーとの確執があったという噂がありましたが、この映像を見るかぎり、反対より受容があり、ついでに私も連れてくるよってニュアンス。もちろん、違和感あるところはやはりあるのですが・・・。

Part2:第8~16日目(157分)

ジョージ・ハリスンが戻ってきてから、再び始まる曲作りの映像。スタジオをアップルの自社スタジオに移動し録音することで全員が合意。「Get Back」の曲のアレンジの変化、こうやってそれぞれが意見を言いながら変化していくのか、と音楽録音をしたことのない私には面白くてしょうがない。
時々張り詰めた空気の中、ビリー・プレストンがふらっとスタジオに顔を出し、エレクトリックピアノをビートルズの「Get Back」に注入すると、曲のジャズ感と軽快な音が、スタジオを明るくした。なんてこった音楽の力って!と覗き見ながら思ってしまった次第。

ジョージ・ハリスンの作曲した曲、ジョンとポールの曲が垣間見れる。この後に収録された2枚のアルバムの背景を知るにつけ、感慨深い。遊んでいるようにも見える風景があるが、これは全体のことではく一部なのだと思われるが、そうやってジャムって遊ぶ時間が作曲を柔軟にしていくのではないかと感じられた。

遊びの時間というか楽しむ時間が、想像を育み、創作に繋がるのはアートの常。私はそう思うがゆえに、ふざけていたというコメントを見るにつけ、ふざけていたという言葉には違和感を感じるのです。

Part3:第17~22日目(139分)

この最後のPart3の見どころはなんといっても、ビートルズ最後のライブ映像。

本編最後の40分はオンザルーフコンサートをほぼノーカットで放映しています。驚いたのは様々なカットを同時に画面に映すことで、いかに彼らをカメラにおさめようとしていたのかが分かる。そしてライブと同時に、背景のスタッフの様子や、警察とスタッフがバックでやり取りしている様子、またスタジオの入口での警察の様子、街の様子含め、多くの同時多発的な状況を我々が臨場感を持って知ることができる面白さがあった。

警察がいつ止めに来るのか、それは映画という演出の面白さではなく、リアルのその日あったドキドキ感が伝わってくるのです。不思議なのは警察官の葛藤も見て取れること。
そんなことは、もちろん演奏しているビートルズのメンバーは知る由もなく、前を向いて演奏している。そして、警察が止めようとしていることを知るや否や、それを無視して、いやむしろエネルギーアップして歌い飛ばそうとする姿。アンプを外されても、また繋ぎなおすジョージのギター。最後まで演奏に向かった姿が、何とも言えずじんわりと感動させてくれました。

まとめ

はっきり言ってこれは、ビートルズのみんなが音楽が大好きであり、音楽で会話をし、音楽で悩んでいた、ということの簡単な事実があり、そして積み重ねたものを音楽で放出した、という膨大なエネルギーの映画。

貴重な映像の連続でしかない。170時間もの記録を編集することも大変だったと思われるが、それを7時間半にしたピーター・ジャクソン力量も凄い。どれほどの取捨選択があったのだろうか。聞き取れなかった音声をこれほど復元させる技術が今はあって、大量の映像と繋ぎ合わせていったこと、想像しただけでも疲れる。すべてのスタッフが根気のいる作業だっただろう。
ビートルズの解散への過程が見れるかも知れない、というドキドキ感はずっと続きながら、これが決定的な瞬間だったのだ、という場面は登場することなく終わる。
「Get Back」と、「かつての場所に戻ろう」そんな多くの曲を生み出してきた4人グルーブ感をどこかでもう一度楽しみたい4人の姿が見てとれた。あの頃の気持ちを根底に残しながらこの企画に休みなく取組みながら疲れて、最後に一区切りを打ったような4人が居た、といったことを私は発見したように思う。
また、どうして、これが最後のライブになってしまったのか。ゲリラライブという形が最適だったのかは、今となっては分からない。どうして話題性とアルバム売上も見込む企画をそこまでして、無理をしてまで準備しなければならなかったのか?私にはわからないが、アップルの財政状況が芳しくないというお話もあった様子。

彼らの「Show must go on」の気持ちは屋上でも伝わり、そのエネルギーの波紋は近辺の住民に伝わった。そして映像を見た私にも伝わってきたものがある。覗き見た時間をひとつの財産としておきたい気持ちでいっぱい。そして、あの時、彼が撃たれなければ・・・なんてこともまた思ってしまうのです。

しかしながら、このように映像でビートルズの人として、アーティストとして見れたことに感謝。

About aritoo

アーティスト(俳優、脚本家、演出家、絵描き)として、感じたままを様々な媒体を通して放出。また芸能プロで演技講師に力を入れ、現在メソードアクティングを紐解きながら世界で通用する俳優を育成する。